函館に来るときに飛行機の中から見た五稜郭に足を運びました。
五稜郭と箱館奉行所を見学
五稜郭は江戸時代に建てられた箱館奉行所(江戸幕府の役所)を守るための防御施設として作られたそうです。
ヨーロッパの稜堡式城郭(星型の城郭)を参考に設計されたため、星の形をしています。
当時は「函館」ではなく、「箱館」という字を使っていたそうです。
当時の奉行所の建物は取り壊されてしまったそうですが、現在は一部が復元されており、内部を見学できました。
入場料は、個人の場合、一般が500円、学生が250円です。
奉行所内に入るとすぐに大広間がありました。
時代劇でよく見ますよね。
当時は、役職によって入ることができる部屋が別れていたそうです。
もちろん、偉い人ほど奥の部屋。
この復元された奉行所は、当時の設計図や写真などの記録をもとに、建築方法、材料ともに可能な限り再現するよう建てられたそうです。
作りがとてもきれいですね。
こちらはトイレ。
形自体は現代とあまり変わらないですね。
奉行所の模型。これだけ沢山の木材を組み合わせて作られているのですね。
これを設計した方々や、実際に建てた職人の方々の苦労は想像できないほどです。。。
ちなみに、奉行所の最も高い部分は太鼓櫓(たいこやぐら)と呼ばれ、時刻を知らせるために太鼓が叩かれていた場所だそうです。
残念ながら、現在は太鼓櫓は法律の関係で見学できず。。。
箱館奉行所・五稜郭の歴史
箱館奉行所・五稜郭の歴史を少し書いておこうと思います。
箱館奉行所は当初、江戸幕府の役所として1864年(元治元年)に建てられましたが、わずか3年後の1867(慶応3年)の大政奉還(江戸幕府が政権を朝廷に返上し、明治政府ができたこと)に伴って、明治政府の役所となりました。
しかし、明治政府に対抗していた旧幕府軍がこの箱館奉行所を占拠し、旧幕府軍と明治政府軍が戦った戊辰戦争の一つである箱館戦争の舞台となったそうです。
結果としては、旧幕府軍が降参し、1871年(明治4年)に箱館奉行所は取り壊されました。
箱館奉行所が実際に存在したのは、1864年(元治元年)〜1871年(明治4年)の7年間のみだったそうです。
このような歴史は函館を訪れなければ知ることがなかったかもしれません。
歴史のある土地を旅行すると、このような歴史を知る機会にもなり、楽しいです。
次の記事は、五稜郭を見下ろせる五稜郭タワーの訪問記です↓